い、石井貴をぼろぼろに打ち崩しとる・・・(汗

☆ちょうどいい頃合

リンク先のさらにリンク先で「カードゲームの環境の変化=氏ね」(極端だけど)と考えておられる人がおったので、ちょうどいいので私的意見を論じたい。

そもそもカードゲームとはカードとカードの組み合わせによって無限の可能性と創造性があり、それがぶつかりあう遊びだからおもしろい。故に決まり手があってはおもしろくないものだと私は考えている。

その点において、MTGとは元祖なだけに完璧なシステムを採用しているゲームであると思っている。一年ごとに多くの環境を支えたカードががらりと変わることによって、常に新鮮さを多くの『トーナメントプレイヤー』(このトーナメントプレイヤーというのが重要)に与えているのだ。

もちろんカジュアルなプレイヤーもいるだろう。彼らも時がくればトーナメントプレイヤーになりたいと思うかもしれない。そんな時、スタンダードというシステムは彼らを暖かく迎えてくれる。なぜなら土俵が同じだからだ。カード資産やカードの知識について言えばMTGを8年やってる人と一年やってる人とはあきらかにかけ離れている。しかし一年やってる人でも最新から準最新のカードを使って練習さえすれば彼らと対等に闘える。それは、もう一度いうが、土俵が同じだからだ。皆が同じセットのカードしか使えないからだ。

それを何も考えずに「前のカードが使えなくなるMTG、環境の変化を楽しむMTGは、衰退するのは当たり前」と考えるのは愚の骨頂。

この人物はGWのようなTCGが一番理想で、すべてのカードが使えるからこそ新規トーナメントプレイヤーも多く参入できると考えているらしい。

だが、私から言わせてもらえば、環境の変化のないカードゲームほど、怪しいゲームはない。

例えばGWを例にすると、

赤=密約、サラサ、白=ハッキング、青=急ごしらえ、茶=宝物没収(これは怪しい?)緑=ドップ、ガトル(限定的だが)

これが三枚入らないデッキはあるか?恐らくないだろう。これを集めなければ始まらない。なければ緑を使え、これが大きな差だといわずしてなんという?

無いなら無いなりにデッキを作れ?圧倒的にアドバンテージのつくカードが無くてどうやって太刀打ちできる?

往年のスターカードがすべてそろっている以上、強いデッキの形は必然的に決まってくる。

そうすると環境の変化はおのずとなくなって、強いデッキだけが残る。

では、それらに対抗するにはどうするのか?さらに強いカードを作り続けるのである。それでいるから、過去の強いカードは制限/禁止という形ではなく野放し状態。エラッタなんてものがでているが、まずこれをすべて覚えないと新規プレイヤーはデッキすら組めない。

そういった感じでGWは今まで来ている。あきらかに古参のトーナメントプレイヤーを大事にして、新規トーナメントプレイヤーが入る門を狭めている。新規トーナメントプレイヤーはよほどがんばらないと古参に勝てない。定石が消えない以上、すべてのカードを使ってデッキが組めるという醍醐味があっても醍醐味だけでは定石に勝てないのである。

人によっては、特定のカードやデッキが嫌いな人もいる。カードゲームになれてくるとその傾向を持つ人が常にいるのである。これらが環境からなくならない限り、その人間はこのカードゲームの限界を知ってこのカードゲームをやめようとする。逆に、「このカードが使えなくなったからこのカードゲームをやめよう」って人はあまりいない。その人間はすぐに新セットのカードから代わりのカードを求めるからである。環境が動くということはそういうことなのだ。

カードゲームによっては、種類が少ないから制限/禁止カードを公布してつりあいを持たせようとするものもある。代表的なのは遊戯王。

サンダーボルト、ブラックホール、ミラーフォース・・・これらが制限カードの時は当たり前のようにトーナメントデッキに入っていた。この思考を無視するパワーを持っているカードたちはとりあえずデュエルにおいて引けば勝てる。特にサンダーボルトなんて素人目からみても最悪だった。デッキの半分が定石でなければデッキでない・・・そんな状況が昨日の新制限/禁止カードの施行でようやっとなくなった。

じゃあ、最初から禁止になるようなカードなんて作るなよ、という声はもっともだ。遊戯王にいたっては否定はできない。最近はまだましになったものの、開闢はあきらかにおかしいし、リリーもおかしい、第六感もおかしい。オーバーパワーなカードが環境に残りつづけるということはつまりはそういうことなのだ。だからこそMTGのスタンダード・システムというのは最高なのである。しかし遊戯王はそんなにカードプールがないから制限と禁止カードの変化でつりあいをもたせようとしているのである。(コナミはトーナメントに関して半分いいかげんだが。その体制をいいかげん治せば、トーナメントプレイヤーも増えるというものなのに。ゲーム自体はおもしろいのだから世界に目を向ける前に身近なことから整えていけばね)

後、デュエルマスターズの第二弾と三弾が生産停止になったことと、MTGのスタンダード・システムを一緒にするのはどう考えてもおかしい。というかよくそこまで屈折した話になるよな。

生産停止になったからといってすぐに環境が変わるわけじゃない。かといって新規のプレイヤーを無視してるのか?といえばそうでもない。

この先DMにどういう変化があるのかはわからないが、少なくとも、なんらかの処置をとるということは考えないのだろうか?というよりむしろGWの常套手段である生産停止について、これこそが新規トーナメントプレイヤーが入る門を狭めているということを考えないのだろうか?(ギレン篇とかね)GWに比べたらDMの生産停止なんてぜんぜんマシ。それを、「新規プレイヤー無視かよ、終わった」とかいうどころか、「だからMTGも終わってるゲームなんだ」と一緒にするなんてどうかしてる。それ依然に、アシキリと表現するのもおかしい。アシキリしているというのなら、そりゃあGWでしょう、というのがなぜわからないのだろうか?

一刻も早く、GWもスタンダード制を設けるべきだと考える。そうでなければ、せめて前述の絶対デッキに3枚入るカードに制限をかけろ、といいたい。そうでなければ環境は動かず、新規トーナメントプレイヤーは入って来れない。ま、そんなことするとGWのシステム上引けなくなる確率は大だが。それでも構築の幅が広がるなら制限にすべきだ。

で、

今までのはトーナメントプレイヤーに限った話だ。この人はカジュアルプレイヤーという考えはなくて、新規プレイヤー=即トーナメントプレイヤーになるものと完全に考えているきらいがあるので、次はカジュアルと新規プレイヤーの話にうつる。

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