何を狙ってるのか?

2005年6月25日
電車男がドラマになるらしいですね。

寝ても醒めてもテレビから電車男電車男。オタク。2ch。キターーーー。

予想はしてたけどこんな短期間で作られたのは正直萎えた。

なんでもかんでもヒットしたらドラマ化っていう現代の風潮は悲しくてむなしい。

オリジナルのドラマはキムタクが出てるのと残りわずかしかない。

そのオリジナルも2とかシリーズもので作られていくしね。そうすると完全に新番組と呼べるものはやっぱりキムタクのドラマくらいしかない。(信念のあるシリーズものには文句なんて絶対言いませんよ)

これが質がいいものだったら別に文句はいわない。でも残念ながら惰性で作られてるものが大半だと思う。とりあえず原作の名前を載せておけば人間は見るだろう、とね。

まあ俺はドラマまったく見ない人間だけど、つまりそれは見る気が起こるドラマがないから見ないだけの話なのだ。

で、マンガになり、映画になり、果てはドラマを作ろうとする製作者というものは一体何を考えてるのだろうか?それがさっぱりわからない。

多分映画までは認めたくないが現代では自然な流れなんだろう。ドラマまで行くからだめなんだと思う。

ようするにドラマを作る人間が無能なんだね。クドカンとか堤さんとか一握りのプロデューサー・監督を除いて日本のドラマ制作部というのは無能なんだろう。

「いえ、僕は僕なりにこだわった電車男が撮りたい」「こだわりぬいたセカチューが撮りたい」ていう言葉はどう考えても出てくるものじゃないだろうし、出てきても絶対信じられないし惰性をごまかす言い訳にしか聞こえない。

視聴率主義だろうが二番煎じで配役の人間変えただけで視聴率が上がるのかと言われれば相当疑問だ。

しかもこれが5〜10年前の作品のリメイクとかならまだ納得するがほぼ絶対にやらない。1年にも満たないもののリメイクを作る人間は頭がおかしいのではないかと思う。

で、それでもなぜこういうことするのかと自問自答した結果、これはドラマという名目で気に入っている女優や男優に近づいてるのではないか?という結論に落ち着いた。

つまり現代はやっているリメイクなら誰でも話は分かるし、映画のイメージが強いから手を抜いてもそれなりのものは作れる。そこで手を抜いた時間でもってそういうことをするのではないか?と。ま、適当にやってれば4か月持つしね。楽だしね。

「エースを狙え」「アタックNo1」で八ヶ月。たまんないね。適当なやっつけ仕事の後は上戸ちゃんといちゃいちゃですか?(同じ監督だと思うけど・・・もしかして違う?)

私的に、これらのリメイクにこだわりはないと断言できる。日本人って、頭悪いよね。二番煎じだろうが偽者だろうがなんだろうがブームが来てる時はほいほいついていって、ブームが去ると見向きもしないんだから。出すほうも出すほうで、ブームが来ると見るや大赤字をこうむるまで続々新製品をだし続けていくんだから。

安易な偽者より信念のある本物をください。でも安っぽい、個人よがりの信念なら要りません。

ていうのを電車男のドラマのCMを見て思いました。

早くリアルの電車男が出てきてこのブームを終焉に導いてください。・・・といいたいところですが出てくるわけがないですね。

電車男はこのブームを作った人間が作り上げた架空の人物ですから。

個人的には電車男(映画)のプロデューサーの線が怪しいです。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索