苦言
2005年11月9日 ディメンション・ゼロを、某徳島店長様が言ってたので便乗。
引き分け0点のあれはもう私が言ってもしょうがないので、もうひとつの「サイドボード」の使用の有無に関する問題をあげようと思う。
今回サイドボードが用いられなかった理由、それはショップに対して送られた書類にそのような記述が一切無かったこと。
加えて、送られてきたデッキ登録用紙には記入する枠がきっかり40枚しかなく、サイドボードは用いない方式とすることを明確に指定していた(と、ショップ側が今までの常識で解釈した)のが理由である。
サイドボードとは、ゲームとゲームの間にメインデッキと差し替えることができるカードで、いわばデッキの一部である。つまりサイドボードはおまけで用意するものではなくて、純粋に競技を競うための道具である。これはもうMTGに代表される競技ゲームなら当たり前の認識である。つまりサイドボードを使用できる大会なら、はっきりそのように記述があるはずである。(50分3本勝負、サイドボード有、等)
つまりこういう背景があるからこそ、今回ショップ側はビフォアセンチュリーカップを「サイドボードを用いない方式」で開催したのである。
特殊ルール『今回に限り引き分けを勝ち点0とする』というのがあるならば、用紙に記述がない以上『サイドボードも今回に限り用いない』という特殊ルールでこのビフォアセンチュリーカップは行われるんだな、と解釈してしまうのは当たり前である。なにしろ使われるカードはストラクチャーデッキのカードのみ、サイドボードに入りそうなカードもほとんどない、そんな状況ならサイドボードを用意しても意味がないと考えるのも当たり前だろう。(実際私もそうだったし)
公式HPかメールマガジンか忘れたが、それの小さなコーナーで今回はサイドボードを用いる大会となることは言われたかもしれない。しかし、たとえ公式HPでそのように書いてあったとしても送られてきた書類がそのようであればショップ側は以上の思考の流れを経て、そういう判断をするだろう。公式HPで言ってた、という事実より、目の前の書類が物語る事実のほうが何倍も重いのである。MTGやGWなど、もう何十度も繰り返しルールを語ってある程度の常識が固まっているゲームならともかくD−0はまだ始まったばかり(というか始まってもいないが)のゲームだ。今回サイドボードを用意する記述がないけど、用意するのは常に当たり前で、その基本ルールをショップは理解しているもの、と大会運営部は考えて書類にその記述をしていなかったのが今回の事件を起こしたものと考える。双方の『当たり前』の認識が招いたミスなのだ。
今回の二つのミス『サイドボード有り無しの非統一性』および『引き分けによる勝ち点0』を教訓にして、ぜひとも次回の公認大会では今後こういうことがないようにしてもらいたいものである。そういった意味ではビフォアセンチュリーカップは『プロ、競技』を謳うことがいかに難しいか、ささいなミスも許さないかを把握することができたいい実験材料となったに違いない。
D−0が、今までのカードゲームと同じ目で見られるか否かはこの教訓を生かした最初のグランプリで問われることになるだろう。
引き分け0点のあれはもう私が言ってもしょうがないので、もうひとつの「サイドボード」の使用の有無に関する問題をあげようと思う。
今回サイドボードが用いられなかった理由、それはショップに対して送られた書類にそのような記述が一切無かったこと。
加えて、送られてきたデッキ登録用紙には記入する枠がきっかり40枚しかなく、サイドボードは用いない方式とすることを明確に指定していた(と、ショップ側が今までの常識で解釈した)のが理由である。
サイドボードとは、ゲームとゲームの間にメインデッキと差し替えることができるカードで、いわばデッキの一部である。つまりサイドボードはおまけで用意するものではなくて、純粋に競技を競うための道具である。これはもうMTGに代表される競技ゲームなら当たり前の認識である。つまりサイドボードを使用できる大会なら、はっきりそのように記述があるはずである。(50分3本勝負、サイドボード有、等)
つまりこういう背景があるからこそ、今回ショップ側はビフォアセンチュリーカップを「サイドボードを用いない方式」で開催したのである。
特殊ルール『今回に限り引き分けを勝ち点0とする』というのがあるならば、用紙に記述がない以上『サイドボードも今回に限り用いない』という特殊ルールでこのビフォアセンチュリーカップは行われるんだな、と解釈してしまうのは当たり前である。なにしろ使われるカードはストラクチャーデッキのカードのみ、サイドボードに入りそうなカードもほとんどない、そんな状況ならサイドボードを用意しても意味がないと考えるのも当たり前だろう。(実際私もそうだったし)
公式HPかメールマガジンか忘れたが、それの小さなコーナーで今回はサイドボードを用いる大会となることは言われたかもしれない。しかし、たとえ公式HPでそのように書いてあったとしても送られてきた書類がそのようであればショップ側は以上の思考の流れを経て、そういう判断をするだろう。公式HPで言ってた、という事実より、目の前の書類が物語る事実のほうが何倍も重いのである。MTGやGWなど、もう何十度も繰り返しルールを語ってある程度の常識が固まっているゲームならともかくD−0はまだ始まったばかり(というか始まってもいないが)のゲームだ。今回サイドボードを用意する記述がないけど、用意するのは常に当たり前で、その基本ルールをショップは理解しているもの、と大会運営部は考えて書類にその記述をしていなかったのが今回の事件を起こしたものと考える。双方の『当たり前』の認識が招いたミスなのだ。
今回の二つのミス『サイドボード有り無しの非統一性』および『引き分けによる勝ち点0』を教訓にして、ぜひとも次回の公認大会では今後こういうことがないようにしてもらいたいものである。そういった意味ではビフォアセンチュリーカップは『プロ、競技』を謳うことがいかに難しいか、ささいなミスも許さないかを把握することができたいい実験材料となったに違いない。
D−0が、今までのカードゲームと同じ目で見られるか否かはこの教訓を生かした最初のグランプリで問われることになるだろう。
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